読むべきビジネス本を一秒で選ぶ方法

どんな本もまあ、それなりに読むところはあるのだろうけど、日々時間が限られているなかで読むべき本を絞らないといけない。

経験的には次のような本は良い可能性が高い。

 

タイトルの主語が人であり、目的語が物か人である本。

主語が物の場合は経験や知識に裏付けられていない著者の独りよがり話の可能性があるので、著者の経歴を確認する。

 

翻訳書。

外国の本は版権や翻訳のコストがかかるので、出版社も打率の高いものを出してくるのが理由かもしれない。

 

コンサルタントが書いた本。

ただしコンサルタントは実務に疎いことから、内容が抽象化され過ぎていないか、反対に具体的過ぎて独りよがりになってないか確認する。

 

創立者、または中興の祖が著者の本。

話が具体的かつ実践済みなところがよい。可能性は低いが、ブラックな失敗談があるとなお良い。引退した人の回顧録などは、自分とは全く別世界なロックフェラーとかそういうのに絞った方が良い。単なる自慢話かもしれないので。

 

歴史と古典。時間のふるいにかけられており、時代が変わっても読まれるということはそこに普遍性があることを意味する。ただし増刷数が一時期に集中していると一過性のブームの可能性があるので、確認する。

 

実務家の実務の本。ただしマスを意識して平易に噛み砕いた本は結果のみを書いて、著者の思考や示唆が省かれていることがある。誰をターゲットにしているかチェックする。

 

ほか、

目次が体系化されている。

固有名詞が多い。

数字が多い。

 

ざっとこんなところか。

ではまた。

 

 

 

古臭いんだよっ! 男性が「おばさんっぽい」と思う髪型5つ

古臭いんだよっ! 男性が「おばさんっぽい」と思う髪型5つ https://gunosy.com/articles/RQovJ

 

ここに書いてあることは確かにそうだ。

この人おばさんだな、と感じる人は確かにそういう格好をしています。

 

しかし紫の頭だからおばさんとは限りません。紫の頭の素敵な女性もいるかもしれません。

人間のもつイメージとはとかく原因と結果、仮定と結論を取り違えるものです。なぜそうなのかはよくわかりませんが、おそらく自分が体験したことをそのままアナロジーとして当てはめることが楽で速いということを動物の本能として刷り込まれているからと思っています。

たとえばサバンナで、あのライオンはこちらを襲ってくるとは限らない、ということをいちいち考えていたら危なくて仕方ありません。

 

でも、人間の社会において、ビジネスや投資のチャンスはそういう論理関係の誤認にこそあるような気がします。

物事を理解する切り口においては論理関係に注意したいものです。

 

ではまた。

 

欲しいものを買わせるのではなく、要らないものを捨てさせる商売

成田空港に帰国した。

電車に乗ろうと駅に向かったら、出国する外国人向けのガチャガチャがズラッと並んでいて壮観!

 

これを見て思ったのは、商売とは必ずしも客の欲しいものを買わせるばかりでなく、要らないものを捨てさせる商売もあるということ。

廃品回収などはその典型ですが、このガチャガチャにおいては、小銭というお金そのものがここでいう要らないものに相当する。

 

日本国内においては有用な硬貨が、その外国人が出国することによって価値を失い、さらに、価値を失うばかりでなく行き場に困るただの金属になる。

 

この硬貨は、投資理論的には外国人にとってはマイナスの現在価値を持っている資産とも言える。ガチャガチャを買うという行為は、硬貨にプラスの現在価値を見出すことができる 日本人の事業家を取引相手として、たいして価値はないがゼロではないオモチャと硬貨を交換することで、資産価値が残っているうちに消費にまわすという意味になる。

 

なるほど。 







 

残業禁止にすると皆が不幸になる理由

残業規制だの、ワークライフバランスだの、と話題になってますが、これって本当に皆を幸せにするんですかね。

 

よく言われるのは、残業が禁止されて定時に仕事を終わらせなくてはいけなくなったことで、かえって仕事の効率が上がったという話ですが、それは自ら時間管理できませんと言っているのと同じことで、なんの意味もありません。

 

また、定時以降に働けないという縛りがあると、急な仕事の要求には応えない、予め決められた仕事以外はやらない、という姿勢になることは容易に想像されます。

 

しかしビジネスにおいては予見できないリスクにチャレンジするからこそ利益が得られるというのが本質であり、これはひとりひとりの労働者にもつながることです。

例えば上司からすると、突発的な仕事にも対応できる部下がいるからこそ、他部署や客先から、難しくとも、うまくやれればおいしい仕事を引き受けられるわけです。できることをできる時間でしかやらないとなると、当然出し値も高くせざるを得ず、仕事が取れません。

 

いや、サラリーマンとして雇われている限りにおいてはそのようなリスクに晒されるいわれはない、それは経営者が考えることと、割り切ることもできますが、であるならば一部のスーパーパフォーマーによってもたらされた、そのおいしい果実は誰に分配すべきなのでしょうか。

皆で平等に分ける?まあそういうルールにしても良いかも知れませんが、そういう会社にそのスーパーパフォーマーはいつまでも残ってくれますかね?結局はその他大勢のダメ社員が残り、会社の業績が落ちて皆が不幸になる、そういう結末になるような気がします。結局、一サラリーマンであってもリスクは取らなくてはいけないのです。

 

ではまた。

 

 

 

所得が低い国の女性との結婚

ここボルネオには日本企業による建設工事現場がいくつかある。

そこには多数の日本人が働いているのだが、国内と同様、特に50代後半から60代の人が多い。

彼らは1970年代からたたき上げで工事一筋で各国を渡り歩いてきた海外建設のスペシャリスト揃いで、いま国内で働いているひとからすると、それはもうとてもよい給料をもらってきた。数年現場で働くと、余裕で日本に家一軒買えるほどの金額が貯まるなどと言われてきたし、実際そうだった。

ただ、彼らは家が買えるほどの貯金があっても、ずっと海外を渡り歩いているわけで、日本に家を買っても住む時間がない。もっというと、独身だと住んでくれる家族もいないので、貯金ばかりが貯まっていく。

 

そんな彼らだが、行く先々の国の人からすると大金持ちで、当然現地の女性にはもてる(もてた)わけで、それが縁で結婚に至ることもしばしばである。日本人の女性よりも純朴(そうに見える)な現地女性との経済的に豊かな生活は、それはもう楽しい日々だったろう。ところが、その国での工事が終わり、別の国の現場に行くことになったときに転機が訪れる。次の国で奥さんのビザが下りることは滅多にないので、そのままその国においていくことになる。(もしくは日本に単身で住まわせる)

 

遠距離恋愛とはなかなか続かないもので、そうなるといずれにしても夫は単に仕送りするだけの存在となる。そのうち、奥さんからは実の親の為に家を買いたい(もちろん家の名義は奥さん)、弟妹の学費を出したい、などという要求がエスカレートして、コツコツためた財産もいつのまにか底をつく。

さらに良くないことに、工事現場というのは衣食住完備で、日々の生活にはまったく不自由しないのでその問題の深刻さに気づかぬまま、自分は歳をとり、老後のための蓄えも作ることができずに、現場を渡り歩く生活を続けざるをえなくなる。

 

少し前に人生いろいろ、年金もいろいろ、なんていう言葉が流行ったが、まさにそんな言葉を思い出させるような、でもその仕事ぶりはとても尊敬されている日本人が、間近にはたくさんいる。

 

ではまた。

 

 

 

ボルネオに来て日本の町について気づいたこと

マレーシアのボルネオにあるとある町に来た。

緑豊かな、近年は天然ガスの産出で急速に発展してきた町だ。人口は5万ぐらいか。

ここ数年は景気がやや良くないものの、それでも生活水準は上がってきており、自動車の所有率は半数を超えているかもしれない。

 

ただ、これまで幾度となくここに来ているが、何というか、ここには町の「核」みたいなものがまったくない。

日本であれば、駅や駅前の商店街、工場、神社や寺、ショッピングモール、役場や公民館、まあ何でも良いのだが、「あの町は(人が集まる)”あれ”があるよね」というものが不思議と必ず一つはある。これが他国であれば、モスクだったり、映画館だったり、バザールだったりになるのだろう。

 

これまで数多くの国を訪ねたが、それなりに発展している国でここまで何もないのは初めてだ。

ここの人たちは何を考えて暮らしているのだろう。それなりに何かあるのだとは思うが、そういう施設や名所がないと、外国人の自分からはそれがよく見えない。

そんなところがこの町がどうにも好きになれないところだ。

 

ではまた。

本音で生きる 堀江貴文

言い訳をやめる

バランスをとるな!

本音で生きられない理由は 自意識とプライドである。

すべてを最適化せよ

本音で生きるために必要なこと

 

氏の言うことはいちいちごもっとも。やりたいことをやらない人生は、それをやれないのではなく、やらない状態が心地よいから。

優先順位なども意味がない。いまそれをやるかどうかの積み重ねが結果を生むのであって、その順番を入れ替えたとしても、結果の質は大して変わらない。もし変わるのあればやり方に修正をかけていけば良いだけ。

 

隙間時間はいくらでもある。今の日本はツールも自由もある。そこに生まれただけで奇跡。

 

突き詰めれば単にアドラー心理学を氏の言葉で語ったという感じの本だが、自分はこの本が好きだ。

ではまた。