時間に追われるということの本質的な意味

毎日時間に追われることが多い。

 

そもそも時間に追われるとはどういう意味なのだろう。

単にやることが多いことを忙しいというのは意味がない。

 

というのも、誰しも一日の時間は24時間であり、生きている限りその24時間何かしらのことを行っているわけで、そういう意味でスケジュールは24時間ギッシリ詰まっていることになる。それが前もって決まっているかどうかという差はあるかもしれないけど、かといって前もって決まっていれば忙しくないというわけでもない。

 

そうやって考えていくと、忙しくて時間に追われるというのは、単に何を大切にするかという感じ方の問題だということがわかる。

 

例えば、仕事が忙しくて歯を磨く暇がないというのはあるかもしれないが、歯を磨くのが忙しくて仕事をする暇がない、というのは聞いたことがない。

これがデートだとどうだろう。デートに忙しくて仕事をする暇がない、というのは意外とありそうだ。でも、仕事をしないと食っていけないので、やらざるを得ず、結果として忙しいと感じる。これが期限が迫っている仕事が多いとなおさら時間に追われるという感覚になる。

 

そうやって考えていくと、忙しくて時間に追われるというのは、単にやるべき事柄が多いというだけではなくて、やりたくもないがやらないといけないと「自分が考えている」多数の事柄の期限が近い、そのことで自分の行動が制約されると感じている、いうことになる。

 

なんだか少し気が楽になった感じがする。

 

なるほど。