マタニティマークのどこが悪いんだ!

深残業をした翌朝、通勤で久しぶりに座席に座ることができてラッキーだと思っていたら、目の前にマタニティマークをぶら下げた女性が来た。正直だるかったのだが、喜んで席を譲った。

 

まだ妊娠初期なのだろう。お腹の膨らみは全くなく、マタニティマークをつけていなかったら、妊娠しているとは到底わからなかった。

 

それにしても最近マタニティマークをつけることを躊躇する女性が増えているらしい。嫌な顔をされたり、挙句の果には暴言を吐かれたりするらしい。なんとも嫌な世の中だ。

 

かなり極端かもしれないが、自分は、人間が発明したもののうちで最も価値のある物は、筆記用具とお金とマタニティマークとさえ思っている。

だって、次の世代を育てている人を助けることが、 確実にできるんですよ。それ以上の価値のある仕事、自分にはできません。

 

妊婦さんがどれだけしんどいのかは男の自分には正直わかりませんが、自分が椅子に座って楽するのと、妊婦さんが楽するのだったら、どう考えても妊婦さんのほうが価値があるでしょう。

 

自分の方がお金は稼いでいるかもしれないけど、動物として生まれた以上、次の世代を宿していることの方が、大事に決まっているでしょう。

お母さんがいなかったら我々は生まれていなかったんですよ。

 

そんなことあまりに自明すぎて、でも世間は必ずしもそうではないらしい。皆目の前のどうでも良いことに囚われ過ぎなのが、今の日本なのかもしれない。

 

なるほど。

 

 

 

 

グローバル化とローカル化は振り子のごとし

トランプさんが米大統領選で当選した。

 

結果が予想外だったからというのもあるが、その理由に対する分析がいろいろなところでなされているが、合衆国の国民のかなり多くの人がこれまでのグローバル化に苦しさを感じていたことは間違いなさそうだ。

 

そもそもグローバル化とは何か?という議論もあるが、「事を為すためにより遠くの情報やものを、持ってくることができるようになっていくこと」と自分は理解している。

 

技術の進歩によって、グローバル化の為のコストが下がり、「より遠くの情報や安いもの」にアクセスできるようになると、反対に「近くの高コストのもの」が切り捨てられるということになる。その影響は当然、先進国ほど顕著であり、よくいう「中間層の消滅」の原因はそれである。

 

しかしグローバル化が進みすぎると、フロンティアとしての「より遠くの情報やもの」も底を尽きてしまい、いずれ限界が訪れる。しかるに、誰ももはやこれ以上グローバル化で得をできなくなる。こうなると、単に安いだけの遠くのものよりも、近くにある特別なものに興味が向くのは、自然な流れである。

 

他国も似たようなものだと思うが、日本については明治維新グローバル化がずっと続いてきた。明治維新は世界史でもまれに見る成功した革命と聞いたことがあるが、かといってローカル化の最たる”鎖国”をしていた江戸時代の民衆の生活が不幸だったかというと、きっとそうではない気がする。

 

今回トランプさんの当選について、米国の分断とか対立といった切り口でいろいろな論評が為されているが、これはイデオロギーの対立とかいう話ではなくて、単に今がグローバル化からローカル化へ振り子が振れる時代であるというだけのような気がする。それはどちらが良いとか悪いとかいう話ではなくて、本来グローバル化とローカル化は行ったり来たりするものであって、そういう時期が来たというだけのことだ。

 

なるほど。

 

 

時間に追われることから抜け出すには

前回に引き続き、忙しいということを考えてみたい。

 

忙しいとは、やりたくないがやらねばならず、かつ納期の近い仕事が多い状態、と書いたが、ではどうやってその状態から抜け出られるのか?

優先度の高いものからやる、などというのは全く無意味で、それでは結局総所要時間は変わらない。

 

では仕事の処理スピードを上げるというのはどうか?これが出来れば多少意味がありそうだ。ただ、スピードが上げられるような仕事とはそもそもパターン化できるものだろうから、付加価値の観点からみて、本来そういった仕事をやるべきなのか?という疑問は残る。

 

そうやって考えていくと、結局のところ、忙しさを減らすには、やらなくても良いことをいかに捨てるかということに行き着く。

それは裏返せば、無駄なことを捨てられないというのは 、わさわざ自ら無駄なことを無駄ではないと認識しているということになる。

しかし、意識しているかいないかにかかわらず、自らがその状態を選択している以上、いくら考えてもその状態を打破することは不可能である。

 

ではどうしたらよいのか?

簡単である。とりあえず何も考えずにやりたくないことをサボれば良いのである。なにも考えずにサボるというのがミソである。

その結果大きな問題が発生するかもしれないが、それはそのときに対処すれば良い。その結果もとのやり方がベストと気づけば、それが本当にやらなくてはいけないことに昇格し、その結果他のことが劣後する。次に、先ほど同様、その他のことをサボる。その繰り返しによって本当にやるべきことが絞られてくる。

 

やるべきだがやり方がわからないときにトライアアンドエラーで仕事を進めることはあるが、やるべきことを決めるときもトライアルアンドエラーをやってはどうか、そういう話である。

 

なるほど。

 

 

 

 

 

 

時間に追われるということの本質的な意味

毎日時間に追われることが多い。

 

そもそも時間に追われるとはどういう意味なのだろう。

単にやることが多いことを忙しいというのは意味がない。

 

というのも、誰しも一日の時間は24時間であり、生きている限りその24時間何かしらのことを行っているわけで、そういう意味でスケジュールは24時間ギッシリ詰まっていることになる。それが前もって決まっているかどうかという差はあるかもしれないけど、かといって前もって決まっていれば忙しくないというわけでもない。

 

そうやって考えていくと、忙しくて時間に追われるというのは、単に何を大切にするかという感じ方の問題だということがわかる。

 

例えば、仕事が忙しくて歯を磨く暇がないというのはあるかもしれないが、歯を磨くのが忙しくて仕事をする暇がない、というのは聞いたことがない。

これがデートだとどうだろう。デートに忙しくて仕事をする暇がない、というのは意外とありそうだ。でも、仕事をしないと食っていけないので、やらざるを得ず、結果として忙しいと感じる。これが期限が迫っている仕事が多いとなおさら時間に追われるという感覚になる。

 

そうやって考えていくと、忙しくて時間に追われるというのは、単にやるべき事柄が多いというだけではなくて、やりたくもないがやらないといけないと「自分が考えている」多数の事柄の期限が近い、そのことで自分の行動が制約されると感じている、いうことになる。

 

なんだか少し気が楽になった感じがする。

 

なるほど。

トランプ祭りで儲ける

昨日のアメリカ大統領選挙の開票で、日本の株式相場は大荒れでした。

開票状況が明らかになるにつれ、日経平均株価は値を下げ、1000円安の暴落。

まあ確かにトランプ氏が勝利することを多くの人は予想していなかったと思います。

 

しかしこの相場で儲けた人も多いのではないでしょうか。

仮にトランプ氏が大統領になったからといって、そこに株価に1000円下がる意味はありません。確かに彼の政策によって企業収益に大きな影響が出るかもしれません。それは1000円の下落ですまないインパクトがあるかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

しかし少なくとも言えることはそのインパクトは、それまで通常一日に数%しか動かない株価が一日に1000円動くことの理由にはならないです。なぜなら氏の政策の影響が現れる速さはもっともっとゆっくりだし、そもそも氏の政策がいったいどういうものになるのか未だわからないので、株価に折り込みようがありません。

 

つまり昨日の暴落は不確実性の高まりに対する、投資家の単なる回避行動によるものであり、こういう値動きは必ず戻ります。

 

実質的な根拠のない、不安心理に基づく相場は必ずもどる。

なるほど。

 

子供をもってみて初めてわかったこと

うちには小さな娘がいます。優しくて、ひょうきんな性格です。

親が言うのもなんですが、正直、美人ではないです。

でもとてもかわいいです。他人から見ればどうでも良いだろうけど、実の親にとってはそれはもうかわいいこと、この上ないです。

 

娘のことをみると、この世に生まれてきてくれて本当にありがとう。自分のようなやる気のない、適当な親で申し訳ない。そんな風にいつも思ってしまいます。

 

歳いってから生まれた子なので、娘が結婚して子供を持つまで、この世に生きていられないかもしれない。

 

なので、娘が周りの人に嫌われたり大切にさされなかったり、経済的に苦しくなったりして、辛い人生にならないかとても心配です。

 

だから、自分は娘のことを厳しく育てます。嫌われてしまうかもしれないけど、全然構いません。たとえ自分の死に目に会いに来る気がなくなるほど嫌われても構いません。

 

親になるとはこういうことだったのか。

なるほど。

 

 

 

 

手帳やノート、メモはすべて、人生におけるPDCAを回すためのツールに過ぎない

手帳やノートの目的を突き詰めていくと、全て人生におけるPDCAを回すためのツールに過ぎないと感じてきた。

単に気楽にその日あったことを書くだけでもそれはそれで良いのだが、ここではあくまで振り返って次の行動につなげるという視点で考えたい。

 

一方、メモはそのPDCAのためのインプットを記録するためにある。例えばセミナーで話を聞いたり時のメモはPDCAというよりは単純に知識集め。

 

そんなPDCA のための手帳やノートの形態だが、まあいろんな意見はあれど、結局のところ全ての人に適したものなどなくて、体裁や大きさ、フォーマットは自分の行動パターン、ひらめくタイミングに応じて、決めるしかない。

 

机で考えるのであれば大きいノートでよいだろうし、電車の中で立ちながらとなると小さなものが必要だろう。

 

自分であればほしい機能は以下のもの。

 

リファレンスが容易。結局時系列に並べるのがベストか?

軽いもの。システム手帳は重たいので、避けたい。

手が疲れると思考が鈍るので、書きやすいもの。紙とペンの相性がよいこと。

整理が苦手なので、なくなりにくいもの。綴じタイプか良い。

考えを深く展開したいのである程度のスペースが必要。最低B5サイズ以上。

なぜか歩いているときとか、電車で立っているときに、アイデアがひらめいたり、やりたいことがフツフツと湧いてるので、小型のメモは別に携帯する。 

 

まあこんなところか。

なるほど。